屋敷街
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 03:35 UTC 版)
室町時代に上杉定正の屋敷があり、定正は「扇ヶ谷殿」と呼ばれていた。近代になって、政財界人の別荘地として人気になり、三菱の創業者・岩崎家などの屋敷が建った。2004年には、旺文社創業者の赤尾好夫が設立したセンチュリー文化財団の館長宅を建設するに当たり、無量寺跡と思われる遺跡の調査が行なわれた。2012年に同財団が15億円の助成金と土地約2500坪を市に寄付し、隣接する赤尾家の別の土地約2000坪を市が購入する形で、世界遺産関連施設の建設計画が進められた。政府が世界文化遺産登録への推薦を取り下げたために計画が変更され、2017年に鎌倉歴史文化交流館として開館した。
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