少林寺 (上尾市)とは? わかりやすく解説

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少林寺 (上尾市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/08 14:56 UTC 版)

少林寺
本堂(2012年8月)
所在地 埼玉県上尾市西門前399
位置 北緯35度59分43.5秒 東経139度35分03.0秒 / 北緯35.995417度 東経139.584167度 / 35.995417; 139.584167座標: 北緯35度59分43.5秒 東経139度35分03.0秒 / 北緯35.995417度 東経139.584167度 / 35.995417; 139.584167
山号 宝王山[1]
宗旨 臨済宗[2]
宗派 臨済宗円覚寺派
本尊 聖観世音菩薩
創建年 1288年正応元年)[2]
開山 大休正念(仏源禅師)[1]
開基 覚山尼[2]
札所等 大本山円覚寺百観音霊場寺院41番札所、足立新秩父34箇所霊場12番札所
文化財 山門(1995年平成7年)上尾市指定文化財に指定)
法人番号 7030005006405
少林寺
少林寺 (埼玉県)
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少林寺(しょうりんじ)は、埼玉県上尾市西門前にある臨済宗円覚寺派寺院である。

歴史

1288年正応元年)の創建、開基は鎌倉幕府8代執権北条時宗夫人・覚山尼、開山は宋からの渡来僧・大休正念円覚寺第二世)である。付近の西門前の地名は、当寺の門に由来する。創建当時、本堂の位置は寺の敷地は西側に広く、現在は芝川暗渠となっている埼玉県道87号上尾久喜線にかかる「坊ノ下橋」や国道17号久保交差点の南側は「五輪山」と呼ばれ、五輪塔があった。

1806年文化3年)2月14日0時頃出火し、1753年宝暦3年)に建立された山門と地蔵堂以外すべて灰となり、住職要道と召使庄蔵が焼死、8歳の小坊主は火の中から飛び出し無事だった。また、この火事で徳川家康から徳川家斉までの代々将軍から賜った朱印状のほとんどが箱とともに焼けてしまい、古刹としての記録、仏像や仏具類も焼失している。

1821年文政4年)、本堂再建。江戸時代には寺子屋があり、1873年明治6年)には上平小学校が開校した(現在は隣地にある)。また、1998年平成10年)に大修築が行われた。

境内

  • 鐘楼堂 - 嘉永年間に建立、2005年(平成17年)に解体し修理された。

文化財

山門(2012年8月)
  • 山門 - 切妻造四脚門。梁には宝暦3年(1753年)、礎石には寛文11年(1671年)の銘が記されている。

交通アクセス

鉄道・バス

脚注

参考文献

  • 『少林寺パンフレット』

外部リンク




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