小牛田花競馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/03 00:26 UTC 版)
「宮城県における花競馬」の記事における「小牛田花競馬」の解説
小牛田競馬場の馬券売場で働いていた経験を持つ安西定雄が著した「小牛田の町の物語」には、1930年(昭和5年)8月20日に素山公園において花競馬が開催されたとの記述がある。素山公園の東側の広場は一周400mの馬場、忠魂碑の南側の桜岡を観覧席とした。賞金はなく、地元商店から協賛寄贈された酒類や鍋、釜といった賞品が出されたという。観客は2000人ほどであった。 また、1931年(昭和6年)9月6日付けの河北新報には遠田郡牛馬商組合主催主催で9月12日、13日の2日間、素山公園広場で花競馬を開催するとの記事がある。賞金総額300円その他商品、出場馬約150頭、様式は正式な競馬に準ずる、入場券は20銭、女流騎手の参加があると記述されている。この素山公園での花競馬が、1932年(昭和7年)の小牛田競馬場誘致の布石となったとの事である。 また、「競馬は小牛田町の地主斎藤慎七・沼津秀男らが中心になって主催され、数回行われたにすぎなかったが、駅前西南部の畑地を会場にあてさかんな人手でにぎわった」とされる。
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