小学校長時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 01:39 UTC 版)
1908年(明治41年)には豊橋市長の大口喜六に請われ、豊橋市立八町高等小学校(現・豊橋市立八町小学校)の校長となった。豊橋市では豊橋市学務委員、豊橋市小学校長会長、豊橋市教育協会長などを歴任しており、さらに三河全国小学校長会長、愛知県教育会役員なども歴任している。八町高等小学校長時代には公共図書館の設置を訴え、1912年(明治45年)には校長との兼任で豊橋市立図書館初代館長となった。 1919年(大正8年)には八町高等小学校長の座を辞し、株式会社東海ペニーの総支配人となった。東海ペニーはやがて東洋紡織株式会社に吸収されたため、東洋紡織の津工場(三重県)や伏見工場(京都府)で労務管理を担当している。
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