第3日曜の会
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上記のような、集団を対象とした教育活動と併行して、斎藤は「第3日曜の会」という個人的な研究会を境小学校長時代から毎月第3日曜日に群馬県玉村町の自宅で開いていた。これは、全国各地から教師が合唱の録音テープ、クラス全員の子どもの絵、各教科の実践記録などを持参して来て斎藤の指導を受ける会で、合唱でのピアノ伴奏の仕方や国語教材の朗読の仕方などは実演を交えて指導が行われた。研究者も参加していて、ある研究者は、この会を「斎藤ゼミ」と呼んだという。会は初めは参加自由だったが、12畳の部屋に70人近くにもなったので、後に40名ぐらいに制限された。 この会は斎藤が亡くなるまで12年間続いたが、この間、遠く岩手や大阪、富山などからほとんど休まずに参加した教師が何人もいた。この第3日曜の会の情景は、1978年3月放映のNHKテレビ「教えるー斎藤喜博の教育行脚」に映っている。
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