将軍家の御用釜師
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/01 06:29 UTC 版)
「太田近江大掾藤原正次」の記事における「将軍家の御用釜師」の解説
享保2年(1717年)徳川将軍家が小名木川を通る際、太田六右衛門と田中七右衛門が炊き出し御用を命ぜられ、これ以降、両家は代々将軍家の「御成先御用釜師」を務めた。太田六右衛門の初代の没年や系譜は不明だが、江戸時代の平均寿命(30~40代)や最高齢(80代)を鑑みると、幕府御用となったのが初代である可能性は低い。田中七右衛門の初代は延宝7年(1679年)に近江で隠居し元禄6年(1693年)78歳で没したという。 また太田六右衛門は近江の辻村に本宅を構え、膳所藩(ぜぜはん)の御用も受けていた。太田六右衛門が膳所藩の奉行所に提出した願書「御用向二付願書写」には、田中七右衛門と合同で将軍家の日光社参に必要な鍋釜1440個を注文された際、太田六右衛門が膳所藩からの御用依頼に対し猶予を願い出たことが記されている。
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