専立寺 (大和高田市)とは? わかりやすく解説

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専立寺 (大和高田市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/27 16:29 UTC 版)

専立寺
所在地 奈良県大和高田市内本町10-19
位置 北緯34度30分49.1秒 東経135度44分28.4秒 / 北緯34.513639度 東経135.741222度 / 34.513639; 135.741222座標: 北緯34度30分49.1秒 東経135度44分28.4秒 / 北緯34.513639度 東経135.741222度 / 34.513639; 135.741222
山号 如意山
宗旨 浄土真宗
宗派 浄土真宗本願寺派
寺格 大和五ヶ所御坊
本尊 阿弥陀如来立像
創建年 慶長5年(1600年
開基 准如上人
正式名 如意山専立寺
別称 高田御坊
法人番号 1150005006019
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専立寺(せんりゅうじ)は、奈良県大和高田市内本町にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は如意山、本尊は阿弥陀如来立像。大和五ヶ所御坊の1つで高田御坊とも言われる。

歴史

1600年(慶長5年)、本願寺12世准如上人によって創建される。大和五ヶ所御坊の一つとして大和国中南部での布教の拠点となるとともに、桑山氏によって寺内町へと発展する。

1786年(天明6年)に太鼓楼、1794年(寛政6年)に表門が建立されるなど、往事には本堂書院対面所鐘楼太鼓楼・門などが建ち並んでいた[1]1838年(天保9年)9月24日、火災で本堂などを焼失する。1840年(天保11年)、書院・対面所などを再建し対面所は仮本堂(現在の本堂)とされた。文化財ではないが野口雨情歌碑がある。

1890年明治23年)7月、板垣退助が『大和全国自由懇親会』と題する演説会を専立寺で開き、同寺に一泊している[2]

現住職は16代脇屋大樹(奈良県立畝傍高校、早稲田大学卒。龍谷大学大学院博士後期課程単位取得満期退学)である。

文化財

行事

  • 2月 - 高田御坊まつり

所在地

脚注

  1. ^ 『大和国葛下郡高田寺内町寺社帳』
  2. ^ 板垣退助・大和高田の専立寺で講演時の写真残る。葛城の民家が所蔵』2015年11月4日号news

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