対立教皇・ベネディクト10世との抗争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/11 16:42 UTC 版)
「ニコラウス2世 (ローマ教皇)」の記事における「対立教皇・ベネディクト10世との抗争」の解説
1058年当初、トゥスクルムのトゥスクラーニ家などの貴族の支持を受けたベネディクトゥス10世が教皇に選出された。しかし、一部の枢機卿は買収があったとして選挙の不当性を主張し、ローマから追放された。イルデブラント(後のグレゴリウス7世)は、ベネディクトゥス10世への対抗を表明してジェラールへの支持集めに走った。 1058年、反ベネディクトクス10世派の枢機卿らはシエナでジェラールを対立教皇ニコラウス2世として擁立した。 ニコラウス2世はローマへ進行する途上のストリで会議を開き、ベネディクトゥス10世の廃位と破門を宣言した。その後、彼の支持者がローマを制圧、ベネディクトゥス10世は逃亡し、これをもって彼の教皇位は事実上失われたとされている。 ニコラウス2世はノルマン人の援助を得て、ベネディクトゥス10世やその支持者への報復戦争を進めた。1059年初のカンパーニャの戦いでは完全な勝利を得られなかったが、同年パレストリーナ、トゥスクルム、ヌメンタヌムを占領し、秋にはベネディクトゥス10世の籠っていたガレリアを奪取、ここに至ってこの対立教皇は降伏し、教皇位を放棄した。
※この「対立教皇・ベネディクト10世との抗争」の解説は、「ニコラウス2世 (ローマ教皇)」の解説の一部です。
「対立教皇・ベネディクト10世との抗争」を含む「ニコラウス2世 (ローマ教皇)」の記事については、「ニコラウス2世 (ローマ教皇)」の概要を参照ください。
- 対立教皇・ベネディクト10世との抗争のページへのリンク