対立化身ラマ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/17 04:15 UTC 版)
化身ラマの名跡の継承は転生によるため、継承者の認定をめぐって教団内に対立が起こる場合がある。最悪の場合には、複数の勢力が各々候補者を擁立して、一つの化身ラマの名跡をめぐって争い、教団が分裂することもある。以下はその例である。 ダライ・ラマ6世 ダライ・ラマ6世ツァンヤン・ギャツォの廃位の後、オイラト族のホシュート部によって対立ダライ・ラマ6世としてエシェ・ギャツォ(en)が擁立された。 パンチェン・ラマ11世 ダライ・ラマ14世によってゲンドゥン・チューキ・ニマ(テンジン・ゲンドゥン・イェシェー・ティンレー・プンツォク・ペルサンポ)が認定されたが、中国政府はそれを認めずにゲンドゥン・チューキ・ニマを拉致し、対立パンチェン・ラマ11世としてギェンツェン・ノルブを擁立した。 カルマパ17世 カルマパはカルマ・カギュ派の教主。同派の多数派によってウゲン・ティンレー・ドルジェが認定され、ダライ・ラマ14世の承認も受けたが、同派の少数派はそれを認めず、対立カルマパ17世としてティンレー・タイェ・ドルジェを擁立した。
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