対立王に即位
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1245年、教皇インノケンティウス4世によるフリードリヒ2世の破門、廃位を承け、ハインリヒ・ラスペがその座に推された(対立王)。マインツ大司教ジークフリート3世・フォン・エップシュタインとケルン大司教コンラート1世・フォン・ホッホシュターデンがこれを支持した。ハインリヒは1246年5月2日に少数のドイツ諸侯によってヴュルツブルク近郊のファイツヘーヘハイムで王に選出された。選挙の結果を承けてローマへ向かった事から、彼は既に「rex clericorum」(聖職者の王)との副え名を付けられている。 コンラート4世が王位を放棄することを拒んだ為、ハインリヒの王位は宙に浮いた状態になった。ニッダの戦い(1246年8月5日)でハインリヒはコンラート4世を打ち負かし、2つの宮廷都市フランクフルトとニュルンベルクを奪取した。しかし、1247年の冬にハインリヒはウルムとロイトリンゲンを包囲したが、ロイトリンゲンの小規模な戦闘で怪我をした彼はヴァルトブルクに引き上げ、1247年2月16日にこの地で亡くなった。 アイゼナハ近郊カタリーナ修道院の両親の傍らに葬られた。心臓は、1235年にエリーザベトを讃えて創建されたドミニク会の伝道教会に安置された。
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