対カモッラ抗争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/05 13:48 UTC 版)
1910年代を通じて、テラノヴァ三兄弟(ヴィンセント、チロ、ニコラス)をリーダーとするモレロ一家はハーレムに様々な利権を確立していた。1915年5月、同じハーレムにいたナポリ系ギャングの頭領ジョシュ・ガルッチをブルックリンのカモッラの協力を得て殺害することに成功し、その賭博や強請の利権を組み入れてハーレムの縄張りを独占した。さらにロウアー・マンハッタンの賭博利権の拡大を狙ったが、ライバルのジョー・ディマルコが邪魔になった為、カモッラの協力を得て殺害した。 ブルックリンで勢力を拡大したカモッラボスのペリグリーノ・モラノは、モレロ一家と提携してハーレムで賭場を開いていたが、予想外の低収入やシチリア人への不信感から、モレロ一家の縄張りを強奪することに決め、一家上層部全員の同時暗殺を企てた。1916年9月、会議と称しておびき出されたニコラス・テラノヴァは、モラノとネイビー・ストリート・ギャング(カモッラ)の共謀により暗殺され、全面戦争になった(マフィア-カモッラ戦争)。 一家はヴィンセント・テラノヴァがボスの座を継いだが、カモッラの勢いに押され地盤のハーレムに引っこみ防戦一方となった。ポリシー賭博やアーティチョークなどハーレム利権をカモッラに奪われたが、翌1917年11月、モラノらカモッラの主要メンバーが裏切り者ラルフ・ダニエロの密告で芋づる式に検挙され、監獄送りとなって自滅したため、ハーレムの支配を取り戻した。
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