寺林城とは? わかりやすく解説

寺林城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/20 00:22 UTC 版)

寺林城
岩手県
城郭構造 城館
天守構造 なし
築城主 河野道重?
築城年 1279年(弘安2年)
主な城主 浅野六兵衛
廃城年 1592年(天正20年)
遺構 曲輪、土塁、堀
指定文化財 未指定
位置 北緯39度28分21.1秒 東経141度07分38.3秒 / 北緯39.472528度 東経141.127306度 / 39.472528; 141.127306座標: 北緯39度28分21.1秒 東経141度07分38.3秒 / 北緯39.472528度 東経141.127306度 / 39.472528; 141.127306
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寺林城
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寺林城

寺林城(てらばやしじょう)は、岩手県花巻市中寺林に存在した日本の城

概要

北上川中流左岸の要衝に位置[1]し、東西250メートル、南北250メートルの規模。地名の由来である弘安3年(1280年)創建の光林寺が城内の南側にあり、林を背にした寺の意味であるという。(『八幡村誌』)

沿革

築城年代は弘安2年(1279年)。光林寺の縁起によれば、河野伊予守通俊の次男、通重が城主として居住したことに始まるといわれる。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉奥州仕置の際に、浅野六兵衛の陣屋となり、現在、土塁の一部とが残っている。

天正20年(1592年)の諸城破却書上には「寺林 平城 破 信直抱 代官 左 平治」とあり、破却された。

脚注

参考資料

関連項目


寺林城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/26 17:39 UTC 版)

江馬氏城館跡」の記事における「寺林城」の解説

飛騨市神岡町寺林玄蕃山山頂に築かれ山城で、別名は玄蕃城。天文年間建造と伝わる。築城者分かっていないが、城主の名前として寺林玄蕃寺林之介、寺林大蔵等の名が伝わる。越中街道を見下ろす位置にあり、街道監視姉小路氏への押さえ目的として造られたと考えられる主郭には虎口設けられているという構造上の特徴がある。また、付近に馬場地名残っている。

※この「寺林城」の解説は、「江馬氏城館跡」の解説の一部です。
「寺林城」を含む「江馬氏城館跡」の記事については、「江馬氏城館跡」の概要を参照ください。

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