寺尾工区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 09:01 UTC 版)
寺尾工区は本坑1,690メートルとそこに取り付く横坑481.0メートルからなり、錢高組に対して発注された。掘削中に土砂の流出や地表の陥没などが繰り返されたのは隣接工区とまったく同様であった。また掘削中にメタンガスが突出し、掘削の際の火花により燃焼して、作業員5名が火傷するという事故があった。 1972年(昭和47年)12月に横坑に着手し、1973年(昭和48年)6月に本坑位置に到達した。ここからサイロット工法を採用して本坑を掘削し、北工区との境界には1974年(昭和49年)11月に、六日町南工区との境界には1975年(昭和50年)12月に到達した。その後、路盤コンクリートの打設まで完了して竣工したのは1977年(昭和52年)2月である。
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