寺分け
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 00:34 UTC 版)
「妙法寺 (兵庫県福崎町)」の記事における「寺分け」の解説
妙法寺二代要全院が開山となり近所に隠居所蓮華寺が創られ、次いで中寺村(現在の姫路市香寺町中寺)に坪屋宗清が三代目日達を開山として醍醐寺を創った。さらに妙法寺隣家の弟後藤八郎太夫が奥村に蓮泉寺を建立し、また妙法寺十世日健の代に新しく北田中村(現在の神崎郡市川町北田中)に石妙寺という末寺を創った。別に存在した神種(このくさ)村(現在の姫路市夢前町神種)の題目庵を善隋寺とし、これも同十世日健代に本山直末として差し出した。これら五か寺ははじめ総て妙法寺の末寺であったが、のちに京都の本山直末としたものである。妙法寺は以前から本山の準永聖・紫金紋の免許を得ていたが、明和年中に蓮泉寺もまた準永聖になり、以来、妙法寺と五カ寺の間に席次の争いが絶えなかった。そのころ妙法寺は中本山を五か寺に優越する気分が濃厚で諍いが絶えず、文政年間には本山役僧の仲裁まで仰いだ文書がいまに残っている。
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