富里への空港誘致説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 19:13 UTC 版)
石原慎太郎や石井紘基が橋本登美三郎の証言を根拠に、新東京国際空港の建設地が一時富里になったのは、当初茨城県の利根川沿いが候補地であったところ、3選を狙う佐藤栄作が川島から総裁選での協力を得るために取引の対価として川島の選挙区に移されたからだと主張している。しかし、佐藤が3選を果たした総裁選はこれより3年後の1968年11月であるうえ(その間に1966年自民党総裁選が行われている)、池田政権期の1963年12月11日には既に運輸省航空審議会が富里を最有力候補として挙げていることなどから、この主張は時系列の整合が取れない。また上述のとおり川島は富里案を打診された時には東京湾埋立による新空港建設を支持しており、川上副県知事が川島に問い合わせたところ、川島が「閣議協の内定は、自分は全く知らない。けしからぬことである」と語り、事前の相談を受けていない千葉県について「(運輸大臣との)会見を断ったのは当然である」と述べたとする証言とも矛盾する。更に、川島の選挙区である千葉県第1区には、富里も成田も含まれていない。
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