富益邨元元祖塔碑銘(米子市富益町 富益神社)
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富益の邨(むら)たる、諸邨より出づ。宝永戉子の春、諸邨の人移りて此に居する者十有七人。楚を抽(ぬ)き蕪を芟(か)りて爰(ここ)に農耕を事とし、星に行き夙(はやく)より服(はたら)き、日の力を窮めて継ぐに昏夜を以てし、閔々孜々(びんびんしし)として幹(はたら)くこと有らんと欲して年有り。地の瘠(や)せたるを以ての故に労を為すこと大甚(はなはだ)しきに功を済(な)し難(がた)く、夙夜懈(しゅくやおこた)らず。力を南畝に竭(つ)くし以て能(よ)く里を為(つく)る。 官名を賜ひて富益邨と曰ふ。今を距たること百年なり。其の人皆逝(ゆ)き、子孫各繁(おのおの)を以て、祖先の功の没して伝はらず、万世の後に以て信なからんことを恐る。 嗟夫(ああ)、霑体の労、抽楚の苦、以て一村を立つ。亦大なるかな。以て石に勒し後裔をして各々其の祖の勤労を知らしむべきこと、亦善からずや。銘を余に請ふ。余其の能く孝有るに感じ、以て之が銘を作る。銘に曰く、 於(ああ)、十七戸、以て一村を開く。功も亦偉なり。以て子孫に貽(のこ)す。千歳万祀、其の愈(いよいよ)繁からんことを期す。怠る忽(なか)れ、佚(いつ)する忽(なか)れ。王の元元なり。十七の祖霊、福を以て蘐(わするる)こと弗(な)し。時に文化元年甲子秋九月 平岡子善撰
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