富益邨元元祖塔碑銘とは? わかりやすく解説

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富益邨元元祖塔碑銘(米子市富益町 富益神社)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 07:54 UTC 版)

富益町」の記事における「富益邨元元祖塔碑銘(米子市富益町 富益神社)」の解説

富益の邨(むら)たる、諸邨より出づ宝永戉子の春、諸邨の人移りて此に居する者十有七人を抽(ぬ)きを芟(か)りて爰(ここ)に農耕事とし、星に行き夙(はやく)より服(はたら)き、日の力を窮めて継ぐに昏夜を以てし、閔々孜々びんびんしし)として幹(はたら)くこと有らんと欲して年有り。地の瘠(や)せたるを以て故に労を為すこと大甚はなはだ)しきに功を済(な)し難(がた)く、夙夜懈(しゅくやおこた)らず。力を南畝に竭(つ)くし以て能(よ)く里を為(つく)る。 官名を賜ひて富益邨と曰ふ。今を距たること百年なり。其の人皆逝(ゆ)き、子孫各繁(おのおの)を以て祖先の功の没して伝はらず、万世の後に以て信なからんことを恐る。 嗟夫(ああ)、霑体の労、抽の苦、以て一村を立つ。亦大なるかな。以て石に勒し後裔をして各々其の祖の勤労知らしむべきこと、亦善からずや。銘を余に請ふ。余其の能く有る感じ以て之が銘を作る。銘に曰く、 於(ああ)、十七戸、以て一村を開く。功も亦偉なり。以て子孫に貽(のこ)す。千歳祀、其の愈(いよいよ)繁からんことを期す怠る忽(なか)れ、佚(いつ)する忽(なか)れ。王の元元なり。十七祖霊、福を以て蘐(わするる)こと弗(な)し。時に文化元年甲子九月 平岡子善撰

※この「富益邨元元祖塔碑銘(米子市富益町 富益神社)」の解説は、「富益町」の解説の一部です。
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