富嶽計画参加者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 05:16 UTC 版)
田中清史:エンジン主担当 中村良夫:のちのホンダ四輪開発責任者。中島に就職したばかりで従軍し、立川陸軍航空技術研究所第二研究所(陸軍航二研・航空発動機)に属しており、構想を実体化するタイミングでチームが編成され、一員として参加。中村は「それまでの日本最大の爆撃機は海軍の四発連山であり、日本の航空産業が持てる経験技術をはるかに逸脱した無謀なプラン」と評している。自身の関与したエンジンに関しては「開発を終わっていた「ハ219」をベースとするものであったため、エンジン自体の構造強度と性能は、まあなんとかメドがつけられそうであった」と、想定される技術範囲内であったとする一方、エンジンの冷却に関しては複列型であればバッフルにより前後のバランスをとれるが、四列では一列から四列までを均等に冷却することがうまくできなかったことが基本的問題点であり、このため三菱で開発中だった空冷複式22気筒「ハ50」を高出力化しようという代替案も出たが、これは基本仕様ですでに能力不足だったという。
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