寅吉と水平社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:04 UTC 版)
寅吉は被差別部落民であったため全国水平社の関心を惹き、水平社の機関誌『水平』第2号には輪池越智(本名・楠川由久)が社会講談「反逆児五寸釘寅吉」を載せた。『水平』が2号で廃刊になったため、続いて発刊された『水平新聞』の第1号以降に続きが掲載されたが、輪池の失踪により5号で中絶している。 『水平新聞』第5号(1924年10月20日)には、編集部による「この講談の主人公西川寅吉さんはさる九月十日北海道の監獄から四十年振りにひょっこり生れ故郷の佐田(三重県一志郡)へ帰られたから、同氏を訪問して、その訪問記でも、この次を(ママ)続けようと思っています。七十一歳の寅さんは、現下の水平運動を見て、どんな感じが起るだろう」との附記が載っている。ただしこの訪問記は実現しなかった。
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