寅子伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 22:41 UTC 版)
「満蔵寺 (さいたま市岩槻区)」の記事における「寅子伝説」の解説
この板碑は造立者やその造立意図が明らかにもかかわらず、下記のように浄土真宗とは無関係の「寅子伝説」と呼ばれる悲話が地元で語り継がれている。 昔、この地域の長者の老夫婦との間に「寅子」という一人の娘(異伝では、実娘ではなく、承久の乱の後に消息を絶った三浦義直の娘を養育した)がいた。寅子は成長するにつれ、美少女として評判が立つようになり、彼女と結婚したいという求婚者が殺到した。やがて寅子をめぐって揉め事が起きるようになり、長者や寅子を大いに悩ませた。 ある日、長者はこれらの求婚者に対して酒宴に招いた。求婚者らは「遂に婿殿の発表か!」と喜んで出席した。宴席では酒とともに肉の膾までふるまわれた。 しかし宴もたけなわになっても、寅子は姿を見せなかった。求婚者の一人が長者に詰め寄ると、「実は、この膾は寅子の腿の肉にございます。皆様の思いに全て応えるには、わが身を均しく捧げるしかないと、自害したのでございます。」と長者は答えた。 これを聞いた求婚者らは、寅子を苦しめた己の浅ましさを深く悔い、彼女の菩提を弔うために合同で供養塔を建てることになった。これが「寅子石」である。 また求婚者の何人かは出家し、寅子石の周辺に満蔵寺(当寺)・慶福寺・多聞院・源悟寺・正蔵院を建てて、寅子の菩提を弔ったという。
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