容姿と遺品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 15:58 UTC 版)
熙子は夫と同じく増上寺に葬られ、戦後墓地が売却されたことにより、その墓は1959年(昭和34年)4月に発掘調査された。墓の上には石製八角塔が建てられていた。ちなみにそれまで将軍正室の墓の形式はバラバラで、天英院の葬儀以後に正室の墓所の形式が定まったと考えられている。歯が1本も発見されなかったことと、顎の骨の形状から、晩年すべて歯は抜け落ちていて、髪の毛は残存していたが、生前は総白髪になっていたものと推察される。遺体以外の遺品の残存状況は良くなかったが、注目されるのは香木で作った小さな十一面観音像があったことである。この像の裏には「奉刻 辛卯 男子 祈祷 梅窓院住 唯然」と彫られていた。四肢骨から推定した身長は143.2センチメートル、血液型はB型であった。このほか、大石寺の五重塔脇に熙子の五輪塔が建てられている。
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