宮沢俊義の反論と田中英夫の再反論とは? わかりやすく解説

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宮沢俊義の反論と田中英夫の再反論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 16:48 UTC 版)

GHQ草案手交時の脅迫問題」の記事における「宮沢俊義の反論と田中英夫の再反論」の解説

これに対し、翌1973年宮沢俊義が『ジュリスト3月15日号・第528号に「日本国憲法押し付け論について」を書き高柳真っ向から反論した宮沢結論は、①松本メモ書いているから、「天皇身体発言はあった、とする。そして、他の日本人当事者覚えていないのは「これは、ふしぎである」として、吉田白洲長谷川3人の共謀説にまで言及している。次ぎに、(2)「この会談全体主旨からいえば、松本聞き違いではない」とする。宮沢は、質疑応答において松本が「天皇国際裁判に出すかどうかというところに問題があったのではないか」と想像しているのはまちがいではなく、これは「向こうの言うことを呑め出さない。呑まなければ出す」ということだ、とする。さらに、「最高司令官といえども万能では」ない、「この憲法の諸規定が受け容れられるならば、実際問題としては、天皇安泰になる」というホイットニー発言は、「これは、もしこの規定を呑まなければ、天皇安泰でない、もし呑めば、天皇安泰だというのであろう」と松本支持した。そして、2・13会談で「ある種の『脅迫』なり『嚇し』なりは、いずれにせよそこに厳存した」、それが「おしつけ憲法正体であり、司令部関係者の「勧告」や「説得」は、「戦敗国日本実感」としては「命令」や「脅迫」と紙一重だと主張した。 これに対し田中英夫は、同年、『ジュリスト』に「「『警告』と『勧告』―押し付け憲法論について―」」という反論書いたが、当時日米各一の記録しかなく、史料不足の観があった。

※この「宮沢俊義の反論と田中英夫の再反論」の解説は、「GHQ草案手交時の脅迫問題」の解説の一部です。
「宮沢俊義の反論と田中英夫の再反論」を含む「GHQ草案手交時の脅迫問題」の記事については、「GHQ草案手交時の脅迫問題」の概要を参照ください。

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