宮沢俊義の反論と田中英夫の再反論
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「GHQ草案手交時の脅迫問題」の記事における「宮沢俊義の反論と田中英夫の再反論」の解説
これに対し、翌1973年、宮沢俊義が『ジュリスト』3月15日号・第528号に「日本国憲法押し付け論について」を書き、高柳に真っ向から反論した。宮沢の結論は、①松本のメモに書いているから、「天皇の身体」発言はあった、とする。そして、他の日本人当事者が覚えていないのは「これは、ふしぎである」として、吉田・白洲・長谷川3人の共謀説にまで言及している。次ぎに、(2)「この会談の全体の主旨からいえば、松本の聞き違いではない」とする。宮沢は、質疑応答において松本が「天皇を国際裁判に出すかどうかというところに問題があったのではないか」と想像しているのはまちがいではなく、これは「向こうの言うことを呑めば出さない。呑まなければ出す」ということだ、とする。さらに、「最高司令官といえども、万能では」ない、「この憲法の諸規定が受け容れられるならば、実際問題としては、天皇は安泰になる」というホイットニー発言は、「これは、もしこの規定を呑まなければ、天皇は安泰でない、もし呑めば、天皇は安泰だというのであろう」と松本を支持した。そして、2・13会談で「ある種の『脅迫』なり『嚇し』なりは、いずれにせよそこに厳存した」、それが「おしつけ」憲法の正体であり、司令部関係者の「勧告」や「説得」は、「戦敗国日本の実感」としては「命令」や「脅迫」と紙一重だと主張した。 これに対し田中英夫は、同年、『ジュリスト』に「「『警告』と『勧告』―押し付け憲法論について―」」という反論を書いたが、当時は日米各一の記録しかなく、史料不足の観があった。
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