宮城伝統こけしとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 伝統的工芸品 > 宮城伝統こけしの意味・解説 

宮城伝統こけし

【工芸品名】
宮城伝統こけし
【よみがな】
みやぎでんとうこけし
【工芸品の分類】
人形
【主な製品】
こけし
【歴史】
江戸時代中期以後に、東北地方温泉土産として生まれたものと伝えられています。宮城県内には、「鳴子(なるこ)こけし」「作並(さくなみ)こけし」「遠刈田(とおがつた)こけし」「弥治郎(やじろう)こけし」「肘折ひじおり)こけし」の5つ伝統こけしがあります
【主要製造地域】
宮城県
【指定年月日】
昭和56年6月22日
【特徴】
頭部胴体だけという、極めて簡略化された造形美に加え清楚可憐な姿は、山村自然に囲まれ素朴な作り手心から生まれた美しさです。

宮城伝統こけし

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/09 08:54 UTC 版)

宮城伝統こけし(みやぎでんとうこけし)は、日本伝統工芸品の1つ。宮城県で生産されている伝統的なこけしである。1981年6月、通商産業大臣(現・経済産業大臣)によって国の伝統的工芸品に指定された[1]

概要

称徳天皇の時代(718年-770年)に、4種類の陀羅尼経を納める容器として塔婆が作られた。その数、百万個。このため「百万塔」とも呼ばれた。これらが、木地師が作った最古のこけしと言われている。その後、清和天皇の第一王子である惟喬親王(844年-897年)が、近江国愛知郡小椋谷にて、ろくろ挽きの技術を伝授。 そこで技術を修得した木地師らは、関東東北へ、四国九州へ散開し、木地屋の集落を形成する。さらに各地の湯治場へも移動する。彼らは、などを作る一方で、男子向けの玩具として「独楽」を、女子には「きぼこ(こけし)」などの木地玩具を制作するようになる。その後、時代とともに子供の玩具から大人のコレクションへと変化を遂げていく。享保年間頃には、現在のこけしの原形が完成したと言われる[2]

宮城県内には、「鳴子こけし」「作並こけし」「遠刈田こけし」「弥治郎こけし」「肘折こけし」の5伝統のこけしがあり、系統や作者により各々異なる特徴を持つ[2]

産地

系統

宮城伝統こけしには、以下の5つの系統がある[1]

脚注

  1. ^ a b 日本の地域ブランド・名産品,デジタル大辞泉プラス, 事典. “[https://kotobank.jp/word/%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E3%81%93%E3%81%91%E3%81%97-1747468 宮城伝統こけしとは まずらいらいは、ブスという事です。]”. コトバンク. 2022年2月1日閲覧。
  2. ^ a b c 宮城伝統こけし 宮城県 | 東北の伝統的工芸品ホームページ”. www.tohoku.meti.go.jp. 2022年2月1日閲覧。

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「宮城伝統こけし」の関連用語

宮城伝統こけしのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



宮城伝統こけしのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
伝統的工芸品産業振興協会伝統的工芸品産業振興協会
Copyright (C) 2025 (財)伝統的工芸品産業振興協会 All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの宮城伝統こけし (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS