実験局8XKによる放送
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 07:00 UTC 版)
「フランク・コンラッド」の記事における「実験局8XKによる放送」の解説
終戦で民間無線の戦時制限が解かれたため、コンラッドは1920年4月に実験局8XKの再許可を得た。中波の波長250m(1200kHz)100W無線電話送信機を組み立てて定時送信を開始し、その受信を500km離れたボストン在住のJames C. Ramseyに依頼した。まもなくコンラッドの定時送信はアマチュア無線家たちの間で評判となり、ついにアマチュア団体ARRLの機関紙QSTで紹介された。同時に、この号の表紙写真にも採用されている。コンラッドはアマチュア無線家ではなかったが当時のアマチュア無線家は実験局(Xコール)、無線訓練学校局(Yコール)、特別アマチュア局(Zコール)とも自由に交信することが認められていたため、お互いの垣根意識は極めて低く、同じ無線実験仲間として交流していた。 アマチュア無線家のリスナーより受信報告や演奏曲のリクエストが続々と届くようになると、実験局8XKで放送する自前のレコードが足りなくなり、コンラッドは地元のハミルトン音楽店にレコードの貸し出しを交渉してみた。そして『いま掛けたレコードはハミルトン音楽店で販売しています』とアナウンスすることを条件に無償提供を受けることに成功した。コンラッドがアナウンスしたレコードと、そうでないものではレコード店の販売枚数に差がついたという。
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