宗安寺 (千曲市)
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宗安寺 | |
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所在地 | 長野県千曲市大字戸倉1783 |
位置 | 北緯36度29分23.7秒 東経138度9分4.3秒 / 北緯36.489917度 東経138.151194度座標: 北緯36度29分23.7秒 東経138度9分4.3秒 / 北緯36.489917度 東経138.151194度 |
山号 | 諏訪山 |
院号 | 相伝院 |
宗派 | 浄土宗 |
寺格 | 能分 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 不明(約400年前) |
開山 | ⽣阿相傳⼤和尚 |
中興 | 学天大和尚(17世) 麟成大和尚(25世) 達成大和尚(26世) |
正式名 | 諏訪山 相伝院 宗安寺 |
宗安寺(そうあんじ)、長野県千曲市戸倉に所在する浄土宗の寺院である。正式名は諏訪山 相伝院 宗安寺、現住職は山極祥瑛。
歴史
当寺は、浄土宗の開祖である法然上人の教えを受け継ぐ寺院である。御本尊は屋代生蓮寺より遷移したとされ、創建詳細は不明なるも、400年ほど前から存在し、1900年に荒廃しつつあった当寺を24世住職の山極覚成が復興。以後地域社会への貢献を担い、社会福祉施設や地域小学校との連携(雅楽)等の文化活動を行っている。
24世住職 山極 覚成
- 戸倉出身、地元に所在する知恩院末寺の上⽥芳泉寺にて得度し、京都知恩院へ
- その後郷里に戻り、上田市林法院、長野市仏導寺・⼗念寺・観⾳寺・蓮⼼寺等の住職を歴任
- 1900年(明治33年)に荒廃していた⼾倉宗安寺へ転住し復興
- 1929年(昭和4年)に遷化(69歳)、開蓮社 神誉上⼈ 體阿清旺覚成⼤和尚
- 尚、山極信達(正僧正)は子息であり、⼤本⼭増上寺にて宗戒を受け、1922年に秩父惣円寺へ住職として入山
25世住職 山極 麟成
- 朝鮮半島に渡り、6年間の布教活動や、平壌に於いて学校経営を行い、平壌幼稚園等を主管
- 関東大震災にて倒壊した総本⼭鎌倉光明寺の横浜別院を復興
- 1929年(昭和4年)より宗安寺住職
- 第二次世界大戦後、戦災孤児収容の為、1947年に松代大本営蹟へ恵愛学園(現社会福祉法人八葉会の児童養護施設恵愛)を設⽴し、初代園長に就任[1]
26世住職 山極 達成
境内
- 本堂は伝統的な和風建築であり樹木葬霊園が併設
- 当霊園は、自然と調和した永代供養付きの墓所として整備されており、ペットの埋葬も可能
- 南無阿弥陀仏名号碑
- 境内社の稲荷社
- 地蔵菩薩立像
- 百万遍供養塔
- 三界萬霊塔
- 庚申塔
- 歴代上人供養塔
交通アクセス
- 電車:しなの鉄道線 戸倉駅下車、徒歩約5分
- 車:上信越自動車道 更埴インターチェンジより約15分
参考文献
- 浄土宗公式 寺院検索サイト
- やすらぎあん「とぐら宗安寺樹木葬霊園」
出典
関連項目
- 宗安寺_(千曲市)のページへのリンク