完全独立~バルカン戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 15:50 UTC 版)
「ブルガリアの歴史」の記事における「完全独立~バルカン戦争」の解説
1908年に青年トルコ人革命がオスマン帝国で勃発すると、オーストリア・ハンガリー帝国の助力でブルガリアは独立を宣言し、大公フェルディナンド1世はツァーリ(皇帝)を称する。翌年1909年4月19日にオスマン帝国が、すでにブルガリアの独立を承認しているロシアとの戦争の賠償の肩代わりにするという条件でブルガリア政府と議定書を交わし、ブルガリア王国として独立。ロシアに続き、列国もこれを承認する。その後セルビア、モンテネグロ、ギリシアとともに第1次バルカン戦争を戦い勝利する。この結果ブルガリアは領土拡大に成功するがマケドニアの領有をめぐりセルビア、ギリシャと対立。1913年第2次バルカン戦争を起こす。この戦争でブルガリアは敗北。マケドニアはセルビアに奪われ、ドブロジャ地方をルーマニアに奪われ、更に東トラキアはオスマン帝国に奪われる。
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