安田財閥の日本昼夜銀行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 01:16 UTC 版)
「日本昼夜銀行」の記事における「安田財閥の日本昼夜銀行」の解説
当時安田財閥の実権を握っていた結城豊太郎は日銀総裁井上準之助と協議して経営引受を決めた。1922年(大正11年)8月15日に浅野昼夜銀行は安田財閥傘下に入り、浅野系取締役は総退陣し、安田善四郎 (2代目)が頭取に、安田善兵衛、斎藤恂、永島二郎などが取締役になった。安田銀行が浅野昼夜銀行を買収したのだが、日本昼夜銀行に再度改称しただけで、吸収合併はしなかった。それは負債のせいで買収されたという悪いイメージを避けるためだった。安田の経営陣は、別途積立金を取り崩し、滞納金の償却を始めて経営を健全化して行った。また、安田財閥の信用力によって預金高が増大し続けて、安田財閥一流の経営で浅野時代の「ボロ銀行」が堅実な銀行に生れ変わった。1942年(昭和17年)に多摩地域・埼玉県を地盤としていた武陽銀行・三十六銀行を買収し、1943年(昭和18年)に安田銀行に吸収合併された。その安田銀行は財閥解体で富士銀行に改称した(現:みずほ銀行)。
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