宇和島海軍航空隊
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昭和19年3月15日に、愛媛県宇和島市日振新田にあった敷島紡績宇和島工場を海軍が買収、松山空の分遣隊として開かれた。分遣隊長は松山空副長の糸永冬生中佐が就任した。昭和20年3月1日、三重海軍航空隊・滋賀海軍航空隊隷下の予科練分遣隊を一挙に独立させた際に、松山空宇和島分遣隊も「宇和島海軍航空隊」として独立した。これら最後の予科練航空隊は、すでに飛行機搭乗員の養成訓練を凍結されており、もはや飛行兵としての命脈を絶たれていた。分遣隊時代の昭和19年7月に、甲飛13期からなる第一期生が卒業したのが唯一の成果である。糸永冬生司令の指揮下で教育訓練を受けていた宇和島空だが、他の予科練部隊と同様に、昭和20年6月1日をもって予科練教育を凍結され、伏竜要員に転属となった。昭和20年7月15日に解隊した。
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