学風・詩風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 02:58 UTC 版)
北山は井上金峨の折衷学に啓発され、その後独自の学問を樹立した。自らその学を孔子学と称し、孝経こそ孔子の真意を伝える唯一の経書と位置づけ最重要視した。 詩文においては、服部南郭らの古文辞格調派が宗とする李攀竜や王世貞など『唐詩選』に代表される詩風を擬唐詩として斥け、亀田鵬斎、皆川淇園とともに激しく批判した。替わりに明の袁宏道らの公安派を理想とし、清新で叙情的な宋詩こそ詩人自らの個性を表現しえる最適な漢詩スタイルであると主張した。この主張の影響は大きく、以降、唐詩が退潮していき宋詩が隆盛となっていく。北山自身は詩人としての才能に恵まれていなかったが、彼の詩論は性霊説と称され、市河寛斎や大窪詩仏、菊池五山、中井薫堂ら、清新性霊派に受け継がれ発展していくことになる。 また文においては韓愈や柳宗元を尊び、名文家として知られた。
※この「学風・詩風」の解説は、「山本北山」の解説の一部です。
「学風・詩風」を含む「山本北山」の記事については、「山本北山」の概要を参照ください。
- 学風・詩風のページへのリンク