学生歌へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/18 21:57 UTC 版)
日本の各地で歌われていたわらべ歌と類似した歌詞を持つ歌は、大正期になってさまざまな学校で学生歌として歌われるようになり、踊りを伴う場合もあった。その経緯や、主に薬学専門学校に広まった理由、踊りはいつ、誰によって振り付けられたのか、といった点については、いずれも不明である。 集団で歌われた古い例として、鹿児島で出版された歌集に「歌あげ」の曲として採録された「たにしどの」の例が挙げられる。歌あげとは島津藩兵の進軍歌で、年長者が数節を歌うと、それに答えて年少者が続く節を唱和する形で歌われる。この歌はありえないものの列挙部分が行軍の疲れをまぎらわせる目的に合い、歌われた。この歌と結びの部分が共通する歌が北九州から鹿児島に伝わった民謡として別の歌集に収録されており、こちらは学舎(明治期に鹿児島に置かれた私学校)や中学生に歌われたという。 大正に入ると、学校で歌われていたとする例が見られるようになる。小瀬洋喜は、1916年(大正5年)頃に旧制会津中学の発火演習で歌われた例を挙げ、「学校で歌われた記録で最も古い」としている。1922年(大正11年)にはこの年竹久夢二の編纂で出版された童謡集に遊戯唄として収録されており、この本を読んだ学生によって学校に入った可能性も考えられる。
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