学校の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 01:16 UTC 版)
1886年の小学校令の公布に伴い、西成郡木津尋常小学校へと改編された。さらに1893年には高等科を併設し、西成郡木津尋常高等小学校へ改称した。1897年には大阪市への編入により大阪市木津尋常高等小学校と称した。 児童数の増加により、木津地域で2番目の小学校として1904年、大阪市木津第二尋常高等小学校(現在の大阪市立大国小学校)が開校することになった。これに伴い、初等科児童の一部を木津第二校に移し、また高等科を木津第二校に移管した。従来の木津尋常高等小学校は高等科が廃止された形になり、大阪市木津第一尋常小学校と称するようになった。 1911年には大阪市南区敷津町981番地(現在地)に移転している。1922年には再び高等科を設置し、また町名からとった大阪市敷津尋常高等小学校へと改称した。 1934年9月21日の室戸台風では、木造校舎が半壊する被害を受けた。
※この「学校の発展」の解説は、「大阪市立敷津小学校」の解説の一部です。
「学校の発展」を含む「大阪市立敷津小学校」の記事については、「大阪市立敷津小学校」の概要を参照ください。
- 学校の発展のページへのリンク