学問としての文学史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/06 16:20 UTC 版)
上述のように近代ヨーロッパにおいて文学史が学問分野となるにあたって、ドイツでは19世紀に興隆した近代文献学の方法論、すなわちギリシャなどを対象とする古代文献学に倣った方法論を適用するように、ヴィルヘルム・シェーラーらによって主張された。一方フランスではテーヌによって実証主義的な文学史が唱導され、ギュスターヴ・ランソンらがこれに続いた。 その後の展開について、ハンス・ローベルト・ヤウスは、文学史の歴史は「過去150年間にわたって…絶えず下降の道を記してきた」とし、19世紀の学者たちは「文学作品の歴史を手がかりにして、民族の個性が形成される過程を記述することを研究の最高目標と考えていた。こうした王道は、今日ではすでに遠い思い出となっている」、あるいは「大学の講義題目では、文学史は明らかに消滅している」と書いている。
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