学卒まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 14:30 UTC 版)
5人きょうだいの4番目、三女として生まれる。名うての腕白ぶりで、女の子ながらガキ大将として通っていた。温厚で几帳面な父親 は地元の小学校の校長を務めていた が、活発な隆子はそんな父親にとってお気に入りの娘だった。高校時代に友人と演劇部に所属し、3年生の折に壱岐島内四町村の小中学校の講堂を借りて夏休みに巡演を行う。千秋楽の夜、達成感や高揚感に包まれながら、隆子は舞台女優として活躍することを夢見るようになった。 高校卒業後、進学せずに東京の劇団に入りたい旨を両親に相談。父親からは劇団への進路を否定されなかったが、ともかく大学へ進学するよう諭される。東京では浅沼稲次郎暗殺事件など学生運動の動きが激しいので、それに染まらないよう静かな京都に、との担任の心配も受けて、推薦で華頂短期大学家政科に入学した。在学中に京都市内の劇団に入り、夜間に稽古に励んだ。入団して5か月目に京都会館で催された新劇合同公演に出演し、それを観ていた毛利菊枝から自身の主宰する「くるみ座」へ移るよう直々に誘われたが、あまり深く考えずに断って楽屋に戻り、劇団仲間に呆れられた。その後、在籍劇団ではデモ活動を行おうとの声が高まってゆく。他の劇団仲間との考え方の違いを痛感し退団する。 卒業後の進路として、教授の助手として母校に残ることや、中学校教員として長崎県対馬で赴任する選択肢もあったが、それらを捨てて大瀬康一の主演作品を手掛けるプロダクションの募集選考に応募し、合格。引き続き北白川の下宿に住みながら、下鴨の京都映画撮影所内にあるプロダクションに所属した。
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