学位制度草創期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 02:43 UTC 版)
学位制度草創期には、学士号の扱いをめぐって迷走した。1872年(明治5年)8月3日に公布された学制(明治5年太政官布告第214号。1879年(明治12年)に廃止。)は、大学卒業者に学士の称号を与えることとした。さらに、翌1873年(明治6年)4月の条文の追加により、(旧制)専門学校の学科を卒業した者にも学士の称号を与え得ることと規定された。 1876年(明治9年)設立の札幌農学校は、この規定に基づき開学当初より学士の称号を与えることが認められた日本初の学士授与機関である。 1878年(明治11年)12月には、(旧制)東京大学に学士の称号を付与する権限が与えられ、翌1879年(明治12年)の第1期生卒業に際し学位の称号を授けた。学位の名称は、法学士・理学士・文学士・医学士・製薬士と定められた。もっとも、1883年(明治16年)になると、東京大学卒業生に学士の称号を授与するのを止めて、代えて得業士の称号を授けることとなった。そして、学士の位号は大学卒業の後、さらに高等試問を経て登第する者に限って授与されることとなった。 工部大学校の卒業生の一部に対しても、同様に一等学士(The degree of Master of Engineering)から五等学士までの学位が制定され、成績の程度に応じてそれぞれの等級の学位が与えられていた。この他、司法省法学校、駒場農学校の卒業生にも学士の学位の授与が認められた。 明治20年に帝国大学令が施行されて後は、学士号は学位ではなくなり、帝国大学分科大学卒業生が称し得る称号と位置付けられることとなった(得業士は大学が授与するものは廃止)。そして与えられる対象者も、原則として帝国大学分科大学卒業生と札幌農学校本科卒業生に限られることとなった。
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