婦人団体による抗議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 15:20 UTC 版)
「私作る人、僕食べる人」の記事における「婦人団体による抗議」の解説
折しも1975年(昭和50年)は国際連合が定めた国際婦人年にあたり、日本では同年1月13日に、参議院議員の市川房枝や田中寿美子らの呼びかけで「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」(「行動を起こす女たちの会」、のちの「行動する女たちの会」)が結成されていた。会員は、国会議員、評論家、ジャーナリストから主婦、学生まで約600人で、市川や田中のほか、樋口恵子、吉武輝子、俵萌子などが名を連ねていた。 「行動を起こす女たちの会」は、第1回世界女性会議で採択された行動計画の第175条に基づいてNHKや民放における女性の活用方法やドラマ等での女性の描き方などを問題視し、9月23日にはNHKを訪れて改善を求めた。そして、その際の記者会見で、『私作る人、僕食べる人』などのテレビCMなどについても批判し、近く抗議する予定であると表明した。これは、「行動を起こす女たちの会」の会員の娘が「テレビのCMのせいで、男の子が給食当番をやらなくなった」と話したことがきっかけになったという。 NHKへの申し入れから1週間後の9月30日、「行動を起こす女たちの会」の7人がハウス食品工業東京本部を訪ね、『私作る人、僕食べる人』のCMは「食事づくりはいつも女性の仕事という印象を与え、男女の役割分担を固定化してしまうものだ」などとして放送中止を求めた。同時に、1か月以内に応じない場合は「不買運動も含めた対抗手段を検討する」と通告した。
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