婦人参政権の実現
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:14 UTC 版)
1945年(昭和20年)8月25日には久布白落実、山高しげり、赤松常子らと共に「戦後対策婦人委員会」を組織し、引き続き政府や各政党に婦人参政権を要求。同年10月10日に、市川とも交流があった内務大臣の堀切善次郎が、幣原内閣の初閣議で婦人参政権の実現を提案し、同内閣は普通選挙法の改正を決定。11月3日には戦後初の婦人団体「新日本婦人同盟」を結成し会長に就任。12月17日には衆議院議員選挙法改正で婦人参政権(男女普通選挙)が実現した。1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙では39人の婦人(女性)議員が誕生した。市川は自ら立候補せず、また有権者名簿の登録漏れのため投票もできなかった。
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