妖の忍法帖
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『妖の忍法帖』(ようのにんぽうちょう)は、山田風太郎の時代小説。1969年に発表された忍法帖シリーズの連作長編で、『小説宝石』(光文社)にて、1969年1月号から同年8月号まで掲載された。中編「隠密忍法帖(お小人忍法帖)」を改訂し、大幅加筆した作品で、角川文庫版では『忍法双頭の鷲』に改題。
注釈
- ^ 角川文庫の題名は、この忍法にちなみ「忍法双頭の鷲」
- ^ 当時は将軍家・尾張家・紀州家を御三家としたという異説もあり。
- ^ 「江戸忍法帖」でのちの光圀の活躍が描かれている。
- ^ 高田藩初代(越後高田75万石。従四位下、左近衛権少将)。忠輝は「越後忍法帖(忍法倒蓮華)」の主要人物。
- ^ 史実でも、真田信利が酷政による一揆で、取り潰しになっている。
- ^ 史実でも、本多政利は過酷な政策を強いた罪や、巡見使に対する作法が不適切であったことにより減封のち改易。
- ^ 史実では、木曾家は関ヶ原の戦い直前に改易になっており、江戸期には、木曽家重臣だった山村氏が木曽を統治(はじめ直参旗本のち尾張藩家臣)。
- ^ 史実では、真壁家は佐竹家の家臣となっており、江戸期には久保田藩士。
- ^ 史実では、加賀爪(上杉)直澄は加増され、藩主の時には処分されていない。次代の直清のとき、旗本成瀬家との境界争いで改易。加賀爪上杉家は、上杉信澄が1500石(のち定澄に500石を分与)の旗本で存続、明治に至る。
- ^ 史実では、上条上杉家(能登畠山系)は大名でなく高家(旗本)。高家上杉家は加増(別家の取り立て)はあっても、改易はなく明治に至る。
- ^ 史実では、天草家は戦国期に滅亡している。不知火藩(富岡藩)は山崎家・戸田家を経て天領(幕府直轄)。
- ^ 史実では、穴山家は武田信吉の無嗣改易をもって断絶、穴山氏・加々美氏ら巨摩衆は以降、水戸徳川家の家臣となっている。
出典
- ^ a b c d e “時代劇に初挑戦!ベッキーが12年ぶり連ドラ主演「くノ一忍法帖 蛍火」”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2018年1月30日) 2018年1月31日閲覧。
- ^ “ベッキー:「くノ一忍法帖」でまさかの時代劇初主演”. MANTANWEB. (2018年1月30日) 2018年3月30日閲覧。
- ^ a b c d “火曜ドラマJ「くノ一忍法帖 蛍火」”. インターネットTVガイド (2018年3月28日). 2018年3月30日閲覧。
- 1 妖の忍法帖とは
- 2 妖の忍法帖の概要
- 3 物語
- 4 登場する忍法
- 5 外部リンク
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