女性民俗学者としての活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 10:12 UTC 版)
「瀬川清子」の記事における「女性民俗学者としての活躍」の解説
瀬川は、柳田の還暦を祝して開催された日本民俗学講習会(於國學院大學院友会館)に講師として参加するようになり、1936年(昭和11年)に「女性と労働」、翌年(1937年)に「海女の話」と題する講演を行っている 。この講座と関連して、1937年(昭和12年)に女性を中心とした会が同会場で持たれ、女性33名、男性14名が出席し、柳田から労働および精神面における女性の役割の話があったという。同年7月から能田多代子の司会で、女性民俗座談会が催されるようになるが、これは後の女性民俗学研究会(女の会)の前身となった。 1943年(昭和18年)から大妻女子大学非常勤講師に着任 、翌年に第一東京市立中学校を退職。終戦後は同大学に勤務しながら、九学会連合の合同調査、アイヌの調査などを行い、婚姻習俗や若者組などのトピックを重点的に研究するようになる。また民間伝承の会(現・日本民俗学会)、女性民俗学研究会などで後進の指導に当たる。
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