失政から廃位へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/08 09:39 UTC 版)
「イサキオス2世アンゲロス」の記事における「失政から廃位へ」の解説
アンドロニコス1世時代に始まっていたノルマン人の侵攻は防いだものの、1186年、支配下にあったブルガリアがペタルとアセン兄弟の下に独立を果たし第二次ブルガリア帝国を建国し、東ローマ帝国と敵対した。1188年には小アジア南西部フィラデルフィアの帝国貴族テオドロス・マンカファースが帝国を裏切って自ら皇帝を僭称するなど、対外的な混乱が相次いだ。このため、イサキオスは帝国の威信回復を目指して大規模な遠征を計画し、1193年までにマンカファースの反乱は鎮圧したものの、2度に渡るブルガリア遠征は失敗に終わった。 1195年、3度目のブルガリア遠征を計画したが、反対した弟のアレクシオスによって廃位・幽閉されて皇位を奪われた。後にイサキオスは弟によって盲目にされた。神聖ローマ皇帝 ハインリヒ6世はみずから企てた十字軍にビザンツ帝国が「参加するよう要求し、さらに毎年貢納金をさし出すことも求めたので」、アレクシオスは「特別税を設定しなければならず、帝室陵墓をあばいて空にしなければならなかった」。ハインリヒは弟の フィリップ・フォン・シュヴァーベンをイサキオスの王女と結婚させ、イサキオスのための復讐者になっていた。
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