夫の死と活動引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 05:02 UTC 版)
しかし、1992年9月11日に夫の郷鍈治が病死。彼が荼毘に付される時、ちあきは柩にしがみつきながら「私も一緒に焼いて」と号泣したという。 その数日後ちあきは、「故人の強い希望により、皆様にはお知らせせずに身内だけで鎮かに送らせて頂きました。主人の死を冷静に受け止めるにはまだ当分時間が必要かと思います。皆様には申し訳ございませんが、静かな時間を過ごさせて下さいます様、よろしくお願いします」という書面のコメントを公表。引退までは明言しなかったものの、これを最後に歌手業を含めた芸能活動を全面的に停止し、公の場には姿を現さず、マスメディアの取材等にも一切応じず、事実上の引退状態となった。郷の死から半年後、義兄の宍戸錠が開いた「郷を偲ぶ会」にも姿を見せなかった。宍戸によれば、その後自身とも全く交流がなくなり、2010年に義姉(宍戸の妻)の游子が死去した折にも連絡はなかったという。 郷は瀬川家(ちあきの実家)に婿入りしており、ちあきの母が眠る瀬川家の墓にともに葬られている。ちあきはその墓のある東京都心の寺の近くにマンションを購入し在住しており、盆・彼岸・月命日には郷の墓参を欠かさないという。
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