天領および福島藩の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 06:07 UTC 版)
その後、1664年(寛文4年)に信夫郡が上杉氏から没収されると、天領約20万石を経て1679年(延宝7年)に本多忠国が福島藩15万石の領主として福島城へ入った。その後天領、堀田氏時代を経て1702年(元禄15年)に板倉重寛が福島藩3万石の領主として入城した。以来、幕末まで約170年間は福島藩板倉氏の居城として機能したのである。 幕末の戊辰戦争時、福島藩板倉氏は奥羽越列藩同盟に参加して薩摩・長州を中心とした西軍と戦ったが、1868年(慶応4年)7月29日に二本松城が落城すると、藩主・板倉勝己は隣藩の米沢藩へ逃亡した。そして、同年9月2日、勝己は二本松城へ常駐していた西軍に降伏し、城は西軍に引き渡された。1869年(明治2年)、板倉氏は三河国へ転封され、福島藩は消滅した。
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