天才的贋作者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 05:42 UTC 版)
「ハン・ファン・メーヘレン」の記事における「天才的贋作者として」の解説
メーヘレンは主に17世紀オランダ絵画の贋作を制作し、特にフェルメールの贋作を好んで制作した。 当時はフェルメール研究が緒についたばかりで、ごく一握りの専門家を騙せば真作と認められたことから、贋作が作りやすい状況にあった。このため、まずメーヘレンはフェルメールの作風を模写するための研究を重ねた。そして、題材はフェルメールが手がけていないとされていた宗教画を描くことに決めた。 そして、メーヘレンは当時の真贋判定方法で主に用いられていた、アルコールを浸した綿で絵画の表面を拭くという方法を回避するため、絵の表面にフェノール樹脂を塗り、炉で一定時間加熱するという手法を編み出した。また、絵を描く際に用いるキャンバス(および額縁)はフェルメールらと同じ17世紀の無名の絵画から絵具を削り落としたものを使用し、絵具、絵筆から溶剤に至るまで当時と同じものを自ら製作して使用し、さらに絵の完成後にキャンバスを丸めてクラクリュールを作り、墨を塗るなどして古びた色合いを出すなど、その贋作の手法は徹底していた。このようにして製作された『エマオの食事』(1937年)は、当時のフェルメールの研究家たちから「本物」と認められ、ロッテルダムのボイマンス美術館が54万ギルダーで買い上げた。 また、彼はダダイスムやキュビズムなどの現代芸術を軽蔑しており、古典派の具象画こそ芸術であるとの持論を持っていた。ある時、ピカソを絶賛する人物の前で即興で「ピカソ風の絵」を描いたところ、相手がその絵を売って欲しいと言ったが、「たとえ贋作を描くとしても劣った奴の贋作は描かない」と言って絵を破り捨てたというエピソードが伝わっている。
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