大黒天と撫牛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 07:07 UTC 版)
『開運撫牛縁起』によれば、大黒天の縁日にあたる甲子の晩は撫牛に煎茶を供えたのち、その茶をひとりで飲むこととされ、また、他の人は茶を供えてはならないと記している。 別の印刷物には、撫牛像を取得して最初の甲子の日に、像を黄色に染めた木綿のふとんの上に置くべきことが記され、自分自身で縫い上げた財布を牛の腹に入れ、甲子の日のたびに銭貨を財布に納めるようにすれば、必ず金銀財宝を得て栄えると記している。 大黒天のお守りやお陰は撫牛の頭部に勧請されると考えられたり、また、撫牛のなかには眉間に大黒天の像を彫り込んだものさえあったり、さらに上述のように大黒天の縁日がとりわけ重視されるなど、撫牛信仰と大黒天信仰とは密接にむすびついていた。撫牛は黒色であることが本来的であると理解されてきたが、それも大黒天の「黒」に由来するものと考えられる。大黒天は、元来はバラモン教の神マハーカーラが仏教に採り入れられた天部の神であるが、中世以降は、牛を乗り物とする摩多羅神とも習合して福をもたらす仏神として俗信化したことが知られる。 撫牛と大黒天の結びつきは、京都市左京区松ヶ崎の日蓮宗松崎山妙円寺に端を発するともいわれる。
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