大阪帝国大学の創立
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府立大阪医科大学学長就任以来、懸案の大阪帝国大学の創立に日夜努力した。1930年(昭和5年)4月から半年間欧米各国へ出張して大学制度の実情を視察・研究した。帰国後、学内教官団、並びに大阪府、大阪市、財界、言論会等の官民一致の協力を得て、大阪帝大の実現に向けて奔走した。1931年(昭和6年)5月1日浜口雄幸総理、井上準之助蔵相らの理解を得て大阪帝国大学へと昇格した。大阪帝大創設費として大阪府からの寄付金は総額185万円(現在の価値で30億円)にものぼり、うち95万円は長三郎の経理運営の刷新から得た府立大阪医科大学病院の収入残余であった。
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