大阪市立阿倍野中学校とは? わかりやすく解説

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大阪市立阿倍野中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/09 08:17 UTC 版)

大阪市立阿倍野中学校
北緯34度37分46.4秒 東経135度31分6.3秒 / 北緯34.629556度 東経135.518417度 / 34.629556; 135.518417座標: 北緯34度37分46.4秒 東経135度31分6.3秒 / 北緯34.629556度 東経135.518417度 / 34.629556; 135.518417
過去の名称 大阪市立阿倍野第五中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 大阪市
校訓 愛知・和敬・力行
設立年月日 1955年4月1日
創立記念日 1955年6月3日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード C127210000882
所在地 545-0011
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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大阪市立阿倍野中学校(おおさかしりつ あべのちゅうがっこう)は、大阪府大阪市阿倍野区にある公立中学校

概要

1955年に創立した。総合的な学習の時間では、地域・進路・国際理解・福祉の4つの課題で、地域と連携しながら取り組みをおこなっている。

学校敷地は、別の場所に移転した大阪市立昭和中学校の旧敷地を転用している。創立当初は昭和中学校分校(現在地に完全移転前に旧敷地を分校として一部使用していた)と敷地を共用していた。なお学校敷地は、学制改革前は高等科単独の小学校・大阪市昭和高等小学校(昭和国民学校)として使用されていたこともあった。

学校敷地は同校の通学区域外にある。仮校舎の予定で現在地に開校し、校区内に適当な学校敷地を探して移転する構想を立てていたが、結果的に学校敷地が見つからなかったためにそのまま現在地を本校舎として現在に至っている。

1990年に大阪市教育委員会から「帰国した子どもの教育センター校」の指定を受けた。センター校指定は、大阪市立豊崎中学校北区)に次いで2校目となっている[1]。海外から帰国した生徒のうち、日本語指導が必要な生徒を対象に、通級による日本語指導教室を開講している。生徒は居住地域の学校に所属しながら、週数回この学校で日本語指導を受ける。また帰国生徒の教育問題について、所属校からの教育相談もおこなっている。

沿革

通学区域

大阪市阿倍野区 王子町2丁目・3丁目の全域、阪南町1丁目の一部および2丁目・3丁目の全域、阿倍野筋4丁目の一部、昭和町1丁目の全域、桃ヶ池町1丁目の一部。

出身者

交通

脚注

  1. ^ その後大阪市立市岡中学校港区)・大阪市立瓜破中学校平野区)も指定され、大阪市内で計4中学校がセンター校に指定されている。

参考文献

  • 大阪市立阿倍野中学校『大阪市立阿倍野中学校創立50周年記念誌』2005年。 

関連項目

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