大夏とトハラ人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/10 00:42 UTC 版)
「大夏」を参照 バクトリアにあたる大夏国とは別に漢字文献(『山海経』、『史記』、『漢書』など)では、古くから且末~于闐にかけての地域が大夏と呼ばれており、一帯ではトカラ語B方言が使用されていた。中国の史書がこの地を大夏と呼んでいたことの仮説として、タリム盆地にいた大夏人の一部が月氏の西進より先にバクトリアへ侵入して大夏国を建て、その後に大月氏に征服されたためとする説(西方史籍の記述とも比較的合致する)があり、中国人研究者に支持者が多い。他にも月氏にもともと服属していた大夏人の一部が月氏に従って西進したためとする説や、月氏と同じ時期に匈奴の攻撃を受け共に西進したためとする説などがある。
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