大善寺を描いた絵画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 14:23 UTC 版)
「大善寺 (甲州市)」の記事における「大善寺を描いた絵画」の解説
江戸時代後期の天保12年(1841年)には浮世絵師の歌川広重が甲府道祖神祭礼幕絵制作のため甲斐国を訪れ、甲府に滞在する。広重は甲府を拠点に甲府近郊や甲斐名所のスケッチを残しており、『甲州日記』の「旅中、心おほへ」には数々のスケッチが見られる。「心おほへ」十六丁・十七丁では、右頁に前頁から続く高尾山大本坊の境内が記され、左頁には大善寺の全景がスケッチされている。画中の文字のうち大善寺の部分は「カツヌマヨコブキ」「柏尾山」「大善寺」「薬師堂」なお、広重は日記部分でも4月分で大善寺門前の鳥居に掛かった額について言及し「馬一疋☆牛一頭」の図を記している。 1903年(明治36年)4月に出版された銅版画『日本寺社名鑑 甲斐国之部』では「柏尾山大善寺之景」が描かれている。
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