大善デパートからニチイダイゼンへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 09:41 UTC 版)
「会津サティ」の記事における「大善デパートからニチイダイゼンへ」の解説
会津若松市内で洋裁店を営んでいた畑清三郎が、1961年(昭和36年)に、それまでの洋裁店から、会津若松市初の百貨店として市の中心部である神明通りに、開店した「大善(大善デパート)」が前身。1971年(昭和46年)には、向かい側に出店した長崎屋会津若松店に対抗して建物を増改築するも、それからまもなく福島市の百貨店・山田百貨店が設立した福島ニチイへ運営が変わるとともに、名称も「ニチイダイゼン」となった。社長も畑から山田百貨店社長だった山田英二に交代した。1975年に運営していた福島ニチイは、東北ニチイへ合併された。 ニチイダイゼン時代は、文房具店である栄町オサダが入る「オサダビル」と、中町フジグランドホテルが入る「フジビル」とが、ニチイダイゼンの建物と連結させて、それぞれのビルから行き来できる構造となっていた。
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