大内氏との戦いと鶴姫の活躍
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「鶴姫 (大三島)」の記事における「大内氏との戦いと鶴姫の活躍」の解説
1541年(天文10年)6月に大内氏配下の水軍の将・白井縫殿助房胤らが侵攻すると、大祝職となった長兄・安舎に代わって次兄の安房が陣代となって三島水軍を率いて出陣し、河野氏や来島氏と連合して大内軍を迎撃するも討死した。兄の戦死を聞いた鶴姫は三島明神に祈請し、明神を守護しようとして甲冑を着て馬に乗り、大薙刀を振るって敵陣へ駆け込むと味方を奮起させ、大内軍を撃退したという。 同年10月にも大内氏が侵攻すると、戦死した安房に代わって16歳の鶴姫が出陣し、大内軍を撃退したとされる。この戦で、鶴姫は甲冑の上に赤地の衣を羽織って早舟に乗り込み、これを見て遊女が近づいてきたと誤認し油断した敵方に攻撃を仕掛け、敵船に乗り移ると素早く敵将の小原中務丞隆言を捕えて「われは三島明神の鶴姫なり、立ち騒ぐ者あれば摩切りにせん」と啖呵を切って小原や敵兵を討ち取り、焙烙や火矢を放って大内軍を追い払ったという。彼女はまた、この戦いの後に安房の跡を継いで陣代となった、安舎配下で一族の越智安成とやがて恋仲になったとされる。
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