大内氏の安芸侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/06 16:48 UTC 版)
「佐東銀山城の戦い」の記事における「大内氏の安芸侵攻」の解説
鏡山城などを奪われた大内氏は、大永4年(1524年)に反撃に転じ、尼子経久が伯耆国に出陣している間を狙って、5月下旬に25,000の軍勢で安芸に侵入。厳島に本陣を構えた。 光和と桜尾城主・友田興藤の率いる軍勢は、友田方の大野弾正が籠もる門山城の後詰として大野女滝に出陣するが、大野弾正が大内方に内応して城に火を放ったために、武田・友田軍は敗北する。大内軍の追撃で武田軍は70〜80人が討ち取られた(大野女滝の戦い)。
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