大仏発願
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/23 13:19 UTC 版)
当寺の諸堂は、江戸時代から明治時代にかけての度重なる火災で焼失していたが、昭和後期の八坂昭道住職(32世住職)は、七堂伽藍を整備する大事業を成し遂げた後、当寺の属する西多摩を仏教の発信地にしようと考え、釈迦如来の大仏の造立を誓願した。しかし、昭道は曹洞宗東京都宗務所長在任中の1995年(平成7年)に急逝し、その遺志は替わって33世住職となった長男・良秀に引き継がれることとなる。その後、良秀が計画をただちに具体化することは無かったが、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災で仲の良かった友人(修行仲間)を亡くしたことをきっかけに、寺院経営の厳しいなか、檀信徒から勧募することもなく事業を進めようとした。これに対して檀信徒のなかからは「造立に協力したい」という声も湧き上がったという。
※この「大仏発願」の解説は、「鹿野大仏」の解説の一部です。
「大仏発願」を含む「鹿野大仏」の記事については、「鹿野大仏」の概要を参照ください。
- 大仏発願のページへのリンク